ロッシーニの生きた時代(その2)
- kcosmochorus
- 2024年1月10日
- 読了時間: 2分
今回もロッシーニについて、あれこれ書いてみようと思います。
前回はロッシーニがボローニャに移住するまでについて
書きましたが、今回はそれ以降についてご紹介しようと思います。
(1)ボローニャ時代(~1815)
最初のオペラ作品である「結婚手形」作曲以降、
次々と作品を発表していきました。
しばらくは北イタリアの4都市(ミラノ、フェラーラ、
フィレンツェ、ボローニャ)を中心に活動していましたが、
ナポリの興行師バルバイア(※)に破格の条件で招聘され、
ナポリに活動拠点を移します。
(2)ナポリ時代(1815~1821)
ナポリに拠点を移したロッシーニはバルバイアの薫陶を
受けながら、次々とオペラを発表していきます。
そして1816年には有名な「セビーリャの理髪師」を発表します。

ところで1815年という年は、ナポレオンが歴史の舞台から
退場する時期とほぼ合致します。まるでナポレオンに代わ
って登場してきたかのようです。
次々とオペラを発表していく中で彼の名声は高まり、
イタリアだけでなく、他の国にも知れ渡っていきます。
そして、ポストナポレオン時代の体制、いわゆる
ウィーン体制にロッシーニも巻き込まれていくことに
なるのです・・・続きは次回に!
※この人物の経歴も結構興味深いものがあります。
また別の機会に・・・
また何か気づきの点があれば、コメントに書き込み
お願いします。
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